皆様、3連休はいかがお過ごしですか?時計と戯れていますか!?
僕は久々の3連休で興奮気味!相方と遊び放題っ~☆最高っ~☆
それにしても…最近は寒さも倍増…かなり寒いですね。
雪が降っているところも多数あるみたいです。
皆様は風邪をひかない様、気をつけて下さいまし!
僕は風邪をひかない様、いつも心がけている事があります。
それはっ…寒い時ほど【時計】と遊ぶ事っ…!
興奮するので、寒さも、風邪菌も全部吹っ飛ばしてしまいますっ!
時計パワー最高!でもっ…これって…案外、本当なんですっ!
辛い時ほど楽しいことをするっ!【病は気から】ってね!
寒い朝は… 乾布摩擦っ! あっ… 僕は… 時計摩擦っ…
ではではっ!今日も【己時計 堂】スタート!
今日ご紹介する【珍時計】はっ!
最近の新作時計の中で、僕が一番良いなと思った時計です。
既にご存知の方も沢山いると思いますが、お付き合い宜しくお願い致します。
ではっ!画像からアップしちゃいますっ!
↓↓↓

どうですか!?このバランスセンスの素晴らしさっ!本当にかっこいい…
【アンバランスの統一感】とでもいうのでしょうか?見事なまでに美しい。
この様なデザイン今までで見た事ありません。美しい珍時計ですね。
ではっ!早速、時計の詳細にっ☆レッツウォッチャ~☆
まず!時計のメーカーは!あの有名なっ…
【GIRARD-PERREGAUX】
日本語にするとっ!
【ジラール・ペルゴ】
そしてっ! 時計のモデル名はっ!
【Vintage 1945 Offcenter Enamel】
日本語にするとっ!
【ヴィンテージ1945オフセンターエナメル】
遂に来ましたっ!ジラール・ペルゴ~!大ファンです!
ジラール・ペルゴと言えばっ!【マニュファクチュール】で超有名なメーカーです!
今回の【ヴィンテージ1945オフセンターエナメル】も【マニュファクチュール】だからこそ完成した、デザインですね!
・オフセンターのメインダイアル
・4時位置のカレンダー
・5時位置のパワーリザーブ
・7時位置の秒針インダイアル
・ケース側面の4時位置竜頭
今までに無い、配置っ…バランス…マニュファクチュールならでは!
さすがっ!ジラール・ペルゴ!素晴らしいの一言!
ここでっ!少しっ!
【ジラール・ペルゴ】が3分で分かる!
【己時計の豆知識】!
強制授業!時計の勉強だっ~!最高!
ではっ!まずっ!【ジラール・ペルゴ(Girard-Perregaux, GP)】 は1791年に
時計の…
【組立師】
【時計師】
【金銀細工師】
として名をはせたスイス人の【ジャン・フランソワ・ボット氏(19歳)】によってスイスのジュネーブにて創業したメーカー!
現在は、スイスのラ・ショー・ド・フォンに本社があります。
2世紀以上もの間、一度も時計製造を中断することが無かった凄いメーカー!
長年に亘り【マニュファクチュール(自社一貫生産)】という伝統を貫き
全て自社の工場で製造工程が行われている現在では数少ないブランドの1つ。
また【ジラール・ペルゴ】の時計は日本に正規輸入された初のスイス時計なんです!
その初輸入された時計は、12個の懐中時計だったと言われています!
さらに日本への愛情からムーブメントには鶴のデザインが精巧に細工が施されていました!
この12個の懐中時計は、【創業者コンスタン・ジラールの弟、フランソワ・ペルゴ】が
幕末の混乱した日本へと横浜から入港して、持ってきてくれました。
フランソワ・ペルゴ氏…時計馬鹿として!尊敬しております!
フランソワ・ペルゴ氏は、その後、スイス使節団が横浜に入国する際に一役買ったり
西郷隆盛も所属する射撃クラブの社長なども務めたりするなどさまざまな方面で活動し
1877年、43歳に死去、横浜外国人墓地に埋葬され現在も日本の地で眠っています。
ペルゴ氏!日本にスイスの素晴らしい時計を持ってきてくれてありがとう!
さらにはっ!GPは史上初めて腕時計の量産を行った凄いメーカーなんですよ!
1969年にはセイコーと時を同じくして時計用クォーツの開発に成功!
その翌年にはスイス初の量産にまでいたったものの世界初はセイコーに譲ることになってしまった。
しかしジラール・ペルゴの開発陣が定めたクォーツ周波数(32,768ヘルツ)は現在世界規格となっています!
その後、日本製クォーツの爆発的な販売拡大に押されて経営危機になってしまいましたが
イタリアでブライトリングブームを作り出した時計販売会社の
【トラデマ社】がジラール・ペルゴのエージェントになり
その社長で【元フィアットのレーサー、ルイジ・マカルーソ】がデザインした時計が大ヒットを呼びましたっ!
またっ!
かの有名な【ジョルジオ・アルマーニ】が愛用したことでも有名になりました!
その2年後、【ルイジ・マカルーソ】は【ジラール・ペルゴの社長】になり
イタリアの名門自動車メーカーの【フェラーリ】とのブランドライセンス契約を締結っ!
その後も【ルイジ・マカルーソ】による経営建て直しは続き
アメリカズカップでBMWオラクル・レーシングチームの後援を行うなどの活躍もするようになり現在に至っています!
はい!ここらへんで!【己時計の豆知識】を終了したいと思います!
まだまだ、伝えたい事は沢山あるのですがっ…3分講座という事でっ…
要は!ジラール・ペルゴを一言で言うと!
歴史が深く、日本に多大な影響を、今も与え続けている、マニュファクチュールの凄い時計メーカーって事です!
それでは少し脱線してしまったので、本題に!
先程の続きでっ…
スペシャルバランス時計の【ヴィンテージ1945オフセンターエナメル】のご説明!
先程はピンクゴールドモデル!
ホワイトゴールドモデルもあります!
シャープな印象のホワイトゴールドモデルはこれ!
↓↓↓

いやっ~!本当にかっこいい…この絶妙な複雑バランス時計!欲しいっ…
あっ!あとっ!皆様!この時計の名前に…【オフセンター】とありますが
【オフセンター】って分かりますか!?
…
……
………
はい!ここでっ!また!
【己時計の豆知識】パート2!
まず!通常の時計は、丸い文字盤の中心に針の軸が置かれ、そこに時刻表示の為の時針や分針が取り付けられています!
このような文字盤の中心に針がある時計の基本デザインは、中世の時計塔から、置き時計や懐中時計を経て、現代の腕時計に至るまでおよそ7世紀にもわたって伝統的に受け継がれています!
しかしっ!
【オフセンター】とは【中心から外れている】状態を指し!
文字通り針と軸の位置が上下左右のいずれかの方向にずれている事をいうのです!
今回のヴィンテージ1945オフセンターも【時針、分針】が中心ではなく
若干、上の方に配置されていますね!
これが!
【オフセンターデザイン】!かっこいい!
ちなみにっ!
【アブラアン・ルイ・ブレゲ】が19世紀始めに発表した懐中時計には
このオフセンター・デザインの文字盤が多用され…
それらは【エキセントリック】と呼ばれていました!
この言葉もフランス語で 【中心からずれた】 という同じ意味です。
【オフセンター】 = 【エキセントリック】
まさに豆知識!
はいっ…!またまた脱線してしまい…申し訳ございません。
それでは!次!!!
【ヴィンテージ1945オフセンターエナメル】のムーヴメント!
↓↓↓

はいっ!これまたっ…美しいです!もう勘弁してくれ…いつか買ってやるっ…
ローターが見えますね!自動巻き!利便性も抜群そう。
また!今回の【ヴィンテージ1945オフセンターエナメル】の凄い所は!
名前にもあるようにっ!
文字盤が【エナメル】なんです!
【エナメル】は、もの凄い技術が必要です!
僕も【エナメル】の時計が欲しい!
【エナメル】は文字盤をいつまでも綺麗にしていてくれる優れもの!
長く付き合いたい時計は【エナメル文字盤】で決まり!?
今回のモデルは、自社の【ヌーシャテル】の自社工房でエナメルを製作できるようになって
初の自社製エナメル使いを実現した記念すべきモデルなんです。
ですのでっ… 僕的にはっ… 奇跡が起きた!
GPの中で一番、欲しいと思ったモデルに【エナメル】が初装備の記念モデルっ!
これはっ!まさにっ…時計馬鹿の神がっ…降りて来た!
■その他の詳細■
・Ref:25845
・ケース径:37×36mm
・ケース厚み:12.90mm
・ケース素材:18KPG
・防水性:3気圧
・ムーブメント:自動巻(Cal.GP4000)
・4時位置竜頭
・25石
・46時間パワーリザーブ (5時位置)
・スモールセコンド(秒針、7時位置)
・カレンダー(4時位置)
・シースルーバック
・ピンクゴールドモデル ⇒予価:315万円(税込)
・ホワイトゴールドモデル⇒予価:348万6000円(税込)
今日はっ! 記念すべき、歴史ある時計をご紹介しました!
■1791年
ジャン・フランソワ・ボットは幼くして孤児となったにも拘らず、
毅然とした態度で実社会に取り組みました。
彼はケース、ギヨシェの組立師、 時計師、金銀細工師などの時計製造のあらゆる職を次々に学んでいき、全て自分自身でこなせるようになりました。1791年、19歳で初の時計を製作しました。
ジラール・ペルゴの出生はいわばこの歴史的出来事から始まりました。
この才能ある時計師ジャン・フランソワ・ボットは、
超薄型懐中時計の創作で瞬く間に有名になりました。
彼はジュネーブに製造会社を設立し、
その当時の時計製造に必要なあらゆる専門職人を一つ屋根の下に集結するという革新を達成しました。
この無限の単一性と共に、後のビクトリア王女を含む最も威信のある顧客を迎えました。
この創意に富み天才的な実業家はヨーロッパ全体で当時最も有名な時計師の一人とみなされました。
■1837年
こうして名声を獲得したジャン・フランソワ・ボットの没後、
ジャック・ボットとジャン・サミュエル・ロッセルが後継者となりました。
創始者ボットは、時計産業・文化という計り知れない価値の財産を彼らに残したのです。
■1852年
1852年にコンスタン・ジラールはジラール社を設立しました。
二年後、彼はマリー・ペルゴと結婚し、二人の姓を組み合わせたジラール・ペルゴ社を1856年、ラ・ショ・ド・フォンに誕生させました。
■1867年
ジラール・ペルゴ社としての名声は、たったの数年間で瞬く間に世に広まりました。
1867年、コンスタン・ジラールのトゥールビヨンはパリの万国博覧会で金賞を獲得しました。
■1889年
長年の研究を経て製作されたスリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨンを発表しました。
この傑作時計はパリの万国博覧会において金賞を受賞しましたが、
1901年の博覧会では、ほかに比較すべき製品が見当たらないという理由から審査対象外とされました。
■1880年
1880年以降、コンスタン・ジラールは革新的なアイディアの腕時計を開発しました。
これは、皇帝ウィルヘルム1世の注文により、ドイツの海軍将校用に考案されました。
2000個が製造されたこの生産は、腕時計の初の重要な商業化となりました。
しかし懐中時計時代にこの革新的な着想はすぐには受け入れられませんでした。
腕時計が一般的なものになり、産業として発展を遂げたのは20世紀初頭以降のことです。
■1903年
その後、コンスタン・ジラール=ガレ・ペルゴが亡き父の後継者として事業を管理するようになります。
■1905年
ジラール・ペルゴは時計の精密度への永続的な探求心が認められて、
当時最も支持された国際的な時計博覧会の常任審査員に選ばれました。
■1906年
かつてのボット社を買収し、ジラール・ペルゴ社と合併させました。
また、20世紀初頭に、フェルディナント・フォン・ツエッペリン伯爵が
飛行船の滞空実験の記録にジラール・ペルゴの時計を使用しました。
■1928年
ドイツ人の時計師で、
ミモ (MIMO : Manufacture Internationale de Montres Or) の所有者オットー・グラエフがジラール・ペルゴ社の株を買い取りました。
■1930年
腕時計の売り上げが初めて懐中時計を上回りました。
約50年の歳月を経てようやく、腕時計を開発したコンスタン・ジラールの先見の明が実証されました。
■1940年
ジラール・ペルゴはヨーロッパだけでなくアメリカ大陸市場でも順調に発展を遂げていきました。
防水加工されたモデル、シーホークがその例に挙げられます。
ミモにおいては主としてヨーロッパ市場で普及しました。
■1945年
アールデコからインスピレーションされたレクタンギュラー(長方形)のモデルが創作されました。
このモデルが50年後再び取り上げられヴィンテージ1945と命名されます。
■1966年
1960年代後半、ジラール・ペルゴは研究開発チームを所持する数少ないマニュファクチュールの一つでした。
この研究部門は革新的な数々のムーブメントの発展を可能にさせました。 1966年、ジラール・ペルゴはジャイロマティックという初のムーブメント(36,000振動/時)を開発しました。
この画期的なムーブメントを搭載した時計は予想通り見事な操作能力を獲得しました。
■1967年
ヌシャテル天文台により交付されたクロノメーター証明書の
70%がジラール・ペルゴのハイビート機械式クロノメーターに与えられました。
■1970年
自社マニュファクチュールはこの時代にクォーツ・ムーブメントの分野にも関心を寄せます。
1970年にはスイスで初めてのクオーツ腕時計の工場生産を行いました。
この時ジラール・ペルゴが決定した32,687ヘルツの周波数は
クオーツウオッチの世界規格として今日も広く用いられています。
■1975年
ジラール・ペルゴは、
オクトゴナル(八角形)のベゼルやケースと一体化した光沢のあるベルトを特徴とするスポーティーなモデル、ロレアートを発表しました。
■1981年
クォーツの飛躍の一方、スイス時計製造産業は危機にみまわれます。
ジラール・ペルゴは、
伝統的な機械式時計の復活に賭けるという高級時計会社にはめずらしいリスクのある選択を取りました。
こうして、ジラール・ペルゴの時計職人たちは、
かの有名な懐中時計、スリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨンの約20個のレプリカ製作に取りかかりました。
■1991年
創業200周年を祝い、スリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨンを縮小した腕時計の製作を実現しました。
■1992年
イタリアの元カーレーサー、建築家であり企業家のルイジ・マカルーソがジラール・ペルゴの指揮をとります。
■1993年
ルイジ・マカルーソの推進力でフェラーリとブランド・ライセンス契約を結びました。
そして、フェラーリの伝説である跳馬マークを刻印したスプリット・セコンド・クロノグラフの限定生産が行われました。
このパートナーシップは1994年から2004年にかけて
スポーティーなモデルやグランド・コンプリケーションなどの優れたコレクションを生み出しました。
■1994年
スイス時計製造会社の多くがムーブメントの設計や製造などを他のサプライヤーに委ねている時代に、ジラール・ペルゴは、マニュファクチュール(自社一貫生産)の論理を推進するために多大な努力を注ぎました。
こうして、1994年には超薄型自動巻ムーブメントGP3000 とGP3100が発表されました。
■1998年
ジラール・ペルゴは、ヴィラ・マルガリータを購入しました。
20世紀初頭のこの建物は、ジラール・ペルゴ時計ミュージアム開設のために内部に手が加えられました。
■1999年
ジラール・ペルゴは、ジュネーブの国際高級時計展(SIHH)に初めて出展し、
自動巻きのスリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨンを発表しました。
これは、プラチナ使用の回転ローター(1999年、特許取得)を香箱の下に組み込むことにより完成しました。
また、マニュファクチュールは同年、直径わずか23.30mmのコラムホイール・クロノグラフ・ムーブメントを開発しました。
■2001年
ジラール・ペルゴはビッグデイト表示やムーンフェイズインジケーターなどの新機能を導入しました。
同年、クロノグラフの偉大なる伝統に忠実に、
マニュファクチュールはww.tcクロノグラフ(ワールド・ワイド・タイム・コントロール)機能やワールドタイム機能を兼ね備えた様々な大きさのモデルを紹介しました。
■2003年
(クォーツの歴史においてその役割を証明するように)この年にクォーツ全盛だったジラール・ペルゴは新クオーツ・ムーブメントを発表します。
■2004年
マニュファクチュールのアプローチに忠実に、
ジラール・ペルゴはスモール・コンプリケーションの機械式ムーブメントを
取り入れた婦人時計のニューシリーズ、キャッツアイを発表します。
この年、自社ブランドはアメリカズカップでBMWオラクル・レーシングチームを後援しました。
さらに、同年12月に、グシュタードに初のブティックをオープンしました。
■2006年
2006年の高級時計の国際サロンの枠組みの中で、
ジラール・ペルゴは、直径GP2700(8 ¾線)と直径GP4500(13 ¼線)で飾られた自動再組立に、機械的な動きの彼の財布を展示した。
その有名な発明の才と技術のバージョン、サファイアのスリーブリッジ付きロレアトEvo3トゥールビヨンモデルとともに、現在のブランド。